カラーセオリーの歴史
人間は紀元前のはるかむかしから、色について考えをめぐさせてきました。当たり前に見えているものなのに、なぜこれはこんな色をしていて、また同じものなのに色が変化するのだろう、と考え始めた人々は、相当好奇心が強かったか、相当ヒマだったのではないでしょうか。
アリストテレスの『色について』
現在知られている最も古いカラーセオリーの一つは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの著作、『色について』です。
この本は、色を観察することで光と闇の間に存在する各基本色について考え、またそれらは火、空気、水、そして地の四元素から生み出されていると論じています。
例えば植物は、地面の上に出ているものは色がついてるが、地面の下にある根っこは色がない(白色)です。よって彼は、植物の色は、太陽の光の元素の影響を受けていると考えました。また、植物に水を与えず枯れてしまうと色が抜け落ちていきます。しかし、水を与えることで植物は、色を保ち続けます。つまり、水の元素が色を提供しているのです。
とても面白い考え方ですね。
もちろん、現在の科学的にはナンセンスではあるものの、こういった発想も捨てることなく、デザインに生かしていきたいものです。
その後、色に関する研究は、美術的には様々な発展をしていきます。一方で、科学的な分野では、大きな動きを見せるのは18世紀まで待たなくてはなりません。
ニュートンが開いた色の扉
1704年、世紀の大科学者、アイザック・ニュートンが著作『光学』において、色に関する新たな扉を開けました。あのリンゴのニュートン先生ですね。
ニュートンは色がついていないように見えるただの光でも、それを分解するといくつもの色の光に分かれる、ということを発見しました。
これは、中学生の時に、理科の実験でやった人も多いのではないでしょうか。光をプリズム(透明な三角柱)にあてると、反対側に虹ができる、あれです。そしてニュートンは、その逆、色のついた光を重ね合わせると、無色の光に戻ることも発見しています。
さらにニュートンは光を追求しました。
分割される光の両端の色は赤と紫です。ようするに虹の両端の色ですね。赤を超えた光は赤外線、紫を超えた光は紫外線と呼ばれ、人間の目では感知することができなくなります。
ニュートンはこの虹の両端の赤と紫をつなぎ合わせ、円状にしました。これがニュートンのカラーサークルです。それ以前に色の仕組みを円で表現した人もいるかもしれませんが、ニュートンは科学的な見地に基づいてカラーサークルを発明したのです。
このカラーサークルによって、特定の色の互いの関連性を表現することができるようになっていきます。
ちなみに、ニュートンが作ったカラーサークルは、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色で構成されています。しかし、見ればわかる通り、この色の境目は等分されているわけではありません。
ニュートンは、サークル上に色を7色定義したくて、この分け方をしたとされます。7とは、一週間の日数であり、一オクターブの音数です。
ゲーテ、『色彩論』でニュートンに挑む
ニュートンから100年後、ドイツの詩人ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、1810年にニュートンの色理論を批判した著作『色彩論』を出版しました。
これは、科学的な観点でのみ色を分析したニュートンに不満を持ったゲーテが、より人間の知覚に寄り添った形で色について論じた本です。この本の中でゲーテは(何をもって正しいかは置いておくとして)史上最も有名なカラーサークルを生み出しました。
その輪は、プライマリーカラーとして、マゼンダ、黄、青の三種類が設定されています。
この本は多くの点で、ニュートンの『光学』へのアンチテーゼとなっています。ニュートンが研究の対象としているのは光のみでしたが、ゲーテは光の逆、闇もその考察対象としました。つまり「闇は光がないところ」ではなく、光と闇と中間に色が存在しているということです。
言わずもがな、この議論の現在における最終的な勝利者はニュートンです。しかし、ゲーテの観点は、色の世界に新たな考え方を生み出しました。つまり、色を単に数量的なスペクトラムとしてだけではなく、人間の認識を考察の尺度としたのです。
ゲーテの『色彩論』は、後の研究に大きな影響を与えていくことになるのです。
色の地図を作る取り組み
ドイツ人トビアス・マイヤがカラートライアングを自書で公開したのは1775年。ゲーテよりも前ですね。
彼はそこで人間の目が認識できる色を6角形のタイルで書き分けて、3つのプライマリーカラーを頂点とする3角形を作り上げました。彼が選んだプライマリーカラーは、赤、黄、青という、伝統的なものでした。
しかし大事なことは、マイヤーはその2次元の三角形に、明るさによるもう一次元の階層を加えたということです。
階層になっている三角形を見ていただければわかると思いますが、中心の層が実際の色で、一番上の層がほぼ白、一方一番下の層はほぼ黒となっています。
現在のカラーモデル同様、人間の目に見える色を、3D空間のマップで示す仕組みが、ここにきて現れたのです。
ドイツのロマン主義を代表する画家、フィリップ・オットー・ルンゲは、1810年、球に色と明暗を割り付けた『色球体』を発表します。
その球体は4つの図から構成されています。明るい側を斜めに見た図、暗い側を斜めに見た図、真上(下?)からみた図、横の断面図です。
上からみた図を見ればわかるように、この球の横の円周はヒュー(色相)のスペクトラムになっています。一方で、断面図を見ればわかるように、縦の直径はライトネス(輝度)のような明るさのスペクトラムになっています。
マイヤーの図もそうでしたが、ヒューと明暗だけかき分けている状態で、未だサチュレーション(彩度)が分離できていない、不完全なカラーマップでした。